初めまして。
「せいけ ゆりの公式ホームページ」からプロフィールをご覧いただきありがとうございます!
ここでは、
LGBT講演のゲストスピーカーを探している
講演を依頼しようか迷っているけど、「せいけ ゆり」ってどんな人?
LGBTに関して少しだけ興味がある
そんな方に向けて「せいけ ゆり」がどんな人物なのか、基本プロフィールから生い立ちまで紹介をしていきます。
基本プロフィール
名前:清家 佑理(せいけ ゆり)
出身地:東京都
職業:客室乗務員/LGBT講師/Webライター
セクシュアリティ:バイセクシュアル
趣味:海外旅行(30カ国+6カ国へホームステイ経験あり)
特技:手相占い
座右の銘:
「明日死んでも後悔しない生き方をする」
「人生は旅であり、旅は人生そのものである」
「明日死ぬかのように生きろ、永遠に生きるかのように学べ」
生い立ち
1990年、東京都板橋区で4人家族の次女として誕生しました。
小さい頃からセーラームーンが大好きで好奇心旺盛なごく普通の女の子でした。
初恋は小学校1年生の頃。
入学式で隣の席だった男の子から告白されて、初めて恋を知りました。
そこから、小学校6年間はその男の子に毎年バレンタインのチョコを渡すほどの一途な恋でした。
一方で、クラスで恋人のように仲の良い女友達もいました。
その女の子とは、休み時間やトイレなど、いつも手を繋いでいたり、腕を組んだりしてたんです。
ですが、ある日他の友達から「ゆりちゃんってレズみたい。なんか気持ち悪い」って言われたんですね。
当時はその言葉にとてもショックを受けて、それ以降「女の子とベタベタしたり、恋愛するのはよくないこと」というイメージに縛られてしまいます。
学生時代は、仲良くなった女友達の中に淡い恋心のような感情を抱くことも少なくありませんでした。
特別な感情を持つ女友達に「彼氏」ができると、本気で凹んでいたこともあります。
しかし、それは「友情」だと自分に言い聞かせていました。
恐らく、これは小学生の時に「レズみたいで気持ち悪い」と言われた事がずっと心に引っかかっていたんでしょう。
特に女の子に告白することも、お付き合いすることもありませんでした。
そして、初めて男性と付き合ったのが17歳のとき。
そこから25歳までは「男性」としかお付き合いをしていませんでした。
と言うのも、自分が「バイセクシュアル(男性と女性の両性を好きになる)」だなんて、1ミリも思った事がなかったんです。
そもそも、「バイセクシュアル」なんていう言葉も知りませんでした。
しかし、25歳のとき。
偶然同じ職場の先輩に、男性と女性と自由に恋愛を楽しんでいる人がいたんです。
初めは衝撃を受けましたが、妙にしっくりくる自分もいたんです。そこでようやく「私って、バイセクシュアルかもしれない」と気が付きました。
25歳のときです。
のちに、その先輩からある1人の女性を紹介されます。
その女性こそ、今のパートナーです。
パートナーとの馴れ初め
パートナーと出会ったのは2016年の春。
当時の私は「いつか結婚と子育てを経験してみたい」と思いつつも、パートナーと一緒にいることがとても幸せでした。
しかし、ちょうど26歳の私の周りでは「結婚・出産ラッシュ」が始まります。
当時は、結婚式に呼ばれるたびに「いいなぁ、私もパートナーと結婚できたらいいのに…」なんて、少し落ち込んだりもしました。
そして、「結婚して子育てをするためには、男性とお付き合いしないとね」という理由で3度も別れを経験しました。
当時は、本当にハゲができる程悩みました。
「結婚」が見えない同性同士の恋愛は、終わりの見えない真っ暗なトンネルを進んでいるような感じだったんです。
3度目にお別れした後、お互いに彼氏ができました。
私がお付き合いしたのは、お見合いで出会った中国在住の男性でした。
彼は、中国の深圳というところで駐在していたので、私は「結婚を前提に」彼の住むアパートに1週間程遊びに行くことにしたのです。
彼は、仕事熱心で誠実で本当に私には勿体無いくらい良い人でした。
しかし、いざ深圳で会っても心が追いつきません。
ずっとパートナーのことばかり考えているのです。
ついに、夜一睡もできなくなりました。
彼は素晴らしい人なのに、同じ部屋で空気を吸うのも嫌になってきてしまいました。
なので、1週間滞在の予定を4日間程で切り上げ、私はそのままシンガポールで自分探しの放をすることにしたんです。
ちょうどその頃、アメリカ人の友人がシンガポールに遊びに来ていたので一緒にバーへ飲みに行くことになりました。
今の状況をその友人に話すと、
「どうしてそんなことで悩んでいるの?君の人生は君のものだろう?
あなたの両親のものでも、友人のものでもない。
だから、自分の幸せな道を選んだ方がいい。」
そう言われ、ハッとさせられました。
当時の私は、ずっと周りの目ばかり気にして生きてきたことに気が付かなかったんです。
そして、人生の伴侶を決めるという重要なタイミングでも、「両親が安心する人」を選んでしまいそうになっていました。
ようやく目が覚めた私は、シンガポールから帰国後すぐにパートナーにプロポーズをしました。
「これから、大変なことや辛いことが沢山待っているかもしれない。だけど、一緒に乗り越えて、これからの人生を一緒に生きていこう」
このように言いました。
パートナーもこの言葉を待っていたかのように頷きました。
そしてようやく、ここから私の人生の第2ステージが始まります。
女性カップルが家族を築くまで
残念ながら日本では「同性婚」がまだ認められていないので、私たちは「養子縁組」という形で家族になりました。
お互いの両親にもきちんと挨拶を終えて、割とすぐに「妊活」を始めました。
色々と検討を重ねた結果、私たちは「海外の精子バンク」で精子提供ドナーを見つけるという道を選びます。
そして、2019年の春。
私は待望の第一子を妊娠します。
いよいよ自分たちが「ママ」になるという夢が叶うと知り、今まで感じたことがない幸せを感じました。
それと同時に、日本で2人ママで子育てしていくのに不安があったのも事実です。
“どんな子育てがしたいか”
“どのように子どもたちに真実を伝えていくか”
“周りにはどう説明していくか”
“もし、障害があったらどうするか”
などをパートナーと徹底的に話し合いました。
そして遂に、2020年の年明けすぐに第一子の可愛い女の子が生まれました。
その後、順調すぎるくらいにパートナーが妊娠し、2021年の春に2人目の可愛い女の子が誕生します。
そして、再び私が妊娠し、2022年の夏に可愛い3人目の女の子が生まれました。
なんと、3年の間に可愛い3姉妹が誕生してくれて、せいけ家は一気に5人家族となりました。
現在は、3歳・2歳・1歳ととてもヤンチャで可愛い時期(大変な時期)ではありますが、パートナーと二人三脚で子育てを楽しんでいます。
発信している媒体
SNSやブログでも同性カップルの日常などを発信しています。
Twitter(@lovethelife365):同性カップルのリアルな子育て情報を発信。
「ママビアンライフ」→同性カップルのリアルな子育て情報、妊活、出産に関する情報発信をしています。
@yuri_seike2023:インスタグラムでも日々のLGBT家族の日常を発信していきます。
※ゆくゆくは本の出版やYouTubeなども始める予定です。
LGBT講演を始めた理由
子育てをしていくなかで、私は多くの性的マイノリティーの方が「家族」を持ちたいと願っていることに気が付きました。
しかし、過去の私と同じように、ロールモデルが周りにいないがために「異性との結婚」を選ぼうとしている人も多くいます。
そして何より、「性的マイノリティーである」ことに後ろめたさを感じ、学校や職場で本当の自分を隠して生活を送る人も多いことを知ります。
私自身も子どもが生まれるまでは、「バイセクシュアルであること」や「女性と付き合っていること」を、友人だけでなく家族にさえ隠していたので、その辛さはとても分かります。
だけど、
本当の自分を隠す必要はあるのか?
本当の自分を押し殺して長い人生を生きるべきなのか?
とても疑問に思ったんです。
偏見や差別があるのは、周囲に当たり前に性的マイノリティーがいることをみんな知らないだけなのではないか。
じゃあ、自分の経験を通じて「LGBTはみんなの周りに当たり前に存在すること」を知ってもらうことが第一歩だと思ったんです。
もちろん、LGBT当事者で前駆者となって全国で講演活動される方も沢山いらっしゃいます。
しかし、私のように同性同士で家族を持ち、子育てする人の存在を知ってもらうことで、同じように「家族を持ちたい」と願う当事者の希望になるのではないか。
特に、これから未来を生きる子どもたちにこそ知ってもらいたいと感じたんです。
なので、私は今までの経験や、自分の人生をより楽しく幸せに生きるための正しい性の知識を講演しようと決めたのです。
今や約10人に1人いると言われているLGBTQ。
皆さんの周りも当たり前に存在していることや正しい性の知識をお伝えさせていただけませんか?